ここは月の上の願いを叶える黒猫舎
星と刻の黒猫舎 影の星
ここは、空のもっと上の、宙(そら)の月にある黒ねこの手紙舎です。ここには、たくさんの願いが集まります。
このちいさな黒ねこ舎には、月に落ちてくる無数の願い星のかけらを集めて、瓶に詰め、それを静かに届けるお仕事。
満月は願いが満ちていて、新月は黒ねこ舎の休息日です。
星のマントを纏い、星の鞄を携えた鹿のようなツノのある黒ねこの双子、星(ほし)と刻(とき)。今日も誰かの「どうか」の願いを届けに旅立ちます。
今日のお話は、星くんも刻くんも、今よりもっと小さかった頃
――そう、配達のお手伝いを始めようとしていた頃のお話です。
当たり前って なに?
夜の石畳には、いつも黒猫たちの影がすぅっと伸びていました。
影は光とともに生まれ、足元に寄り添う当たり前のもの。
それぞれの影が、猫の気配をやさしく映していたのです。
だけど、その皆んなには当たり前の存在の影が、刻くんには生まれつきありません。
星明かりに照らされても、刻くんの足元にはただ静かな石畳があるだけで、光は跳ね返るけれど影は生まれません。
隣に立つ双子の星くんの足元には、黒猫らしい細長い影がのびているというのに。刻くんは、星くんの足元でいつもついてくるその影を羨ましく思っていました。
刻くんは星明かりが嫌いです。
刻くんには影ができないからです。
影のない自分は、どこか足りなくて、みっともない気がします。
星明かりのない新月の日は、みんな一緒で安心します。
真っ黒な世界の中で、僕たちの目だけが、ほのかな星のようにキラキラと光ります。
ぼく…やっぱり、みっともないな
今日は、星集めの日。星明かりが眩しい日です。
刻くんは、嫌々ながらも願い星を集めるお父さんのお手伝いで、船着場へ向かいました。
いつものように星明かりに照らされると、星くんにはすぅーっと影が伸びました。その影は、星くんが行くところ、どこにでもついてきます。
星くんは影のことを、にこっと笑いながら言いました。
「ついてくるだけで、何をしてくれるわけでもないよ。いなくても平気だよ」
もやもやした気持ちを抱え、刻くんはプィと星くんから少し離れました。
お父さんは、「刻には刻の役割があるから、影がないんだよ」と言います。
それでも刻くんは、小さな声で呟きました。
「ぼくも…あの子がほしい」
小さな声で呟くと、ふわりと冷たい風が吹き抜けました。
その瞬間、刻くんの足元で、微かに黒い物体が揺れました。
ずっとここにあったのに、今まで気づかなかった、小さな影でした。
刻くんが不思議そうに足元をじっと見つめていると、「どうしたの?」と、心配そうに星くんが、そろりと近づいてきました。
近づいてきた星くんの影は大きくて立派で、刻くんは思わず目を逸らしました。
自分の足元を見下ろすと、石畳に落ちるのは、小さく頼りない黒い影。
「ぼく…やっぱり、みっともないな」
小さな胸の中で、恥ずかしさと、モヤモヤがさらに広がりました。
「僕は願いを叶える黒猫舎の子なのに、僕の願いは叶わない。
いつも星に願っているのに、僕の願いだけ、どうして届かないんだろう…。」
どうしようもなくて、刻くんは、その場にしゃがみこみました。
すると、星くんも隣にしゃがみこみます。
「なんだよ、あっち行けよ。」
心の中でそう思いながら、足元をじっと見つめると――あれ……?
右足にだけついてくる、小さな影。
左足でそっと踏んで潰そうとしてみても、消えません。
「……あれ? それは刻くんの影?」
刻くんのモゾモゾした様子に気づいて、星くんも刻くんの小さな影を見つけました。
刻くんは、カッと顔が熱くなり、赤くなります。
「なんだよ! あっち行けよ!」
心の中で思ったはずの言葉が、つい口から飛び出してしまいました。
刻くんは星くんを押しました。
そして急いで立ち上がると、一目散に、家の影の暗い場所へ走り去りました。
みっともない。恥ずかしい。
なんだよ、なんだよ。
見るな、見るな。僕を見ないで――!
そんな気持ちでいっぱいになり、刻くんは黒く溶けてしまいたいと思いました。
影が濃くなる方へ、どんどんと走ります。
裏庭にあるおじいさんの古い小舟に飛び乗り、ひとりでぐんぐんと宙海の中を漕ぎ出しました。
「おーい! おーい!」
星くんの声が背中に届きましたが、刻くんは振り払うように、黒い宙海へと進みます。
星の光も届かない、真っ黒な宙海。
波に漂う星たちが、チチチ…と、小さな余韻のある音を響かせていました。
頼れるのは、その星の音だけ。
とくん。
小舟は、やさしく揺られながら、ひとつの星へとたどり着きました。
ようこそ、影の星へ。
ここは、近づいてみなければ誰にも気づかれない、真っ暗な星。
その星の真ん中に、よく目を凝らすと――ひっそりと黒い扉が佇んでいました。
刻くんがその扉に近づき、そっと開けてみると――
――ようこそ、影の星へ。立派な影はいかがですか?欲しい方はお入りください。ただし、条件があります、ぶ、な―ん―――ふ――
小さな文字が、地面にぼんやりと浮かび上がっていました。しかし最後の方が消え掛かっていて読めません。
「影がもらえる……の?」
刻くんは小さな声でつぶやき、勇気を出して、ゆっくりと扉を押しました。
中に入ると、そこは、更に真っ暗な闇。
自分がどこに立っているのかもわかりません。
足も見えない、手も見えない。
ただ、自分の心臓だけがドクンドクンと響いていました。
そのとき――奥から、ブツブツと声が聞こえてきました。
「あぁ、歯が痛い……あのヤブ医者め」
「全部、あのヤブ医者のせいだよ」
「私は年寄りだ、もっと尊重されるべきなのに」
声が重なり、言葉は次から次へと闇に溶けていきます。
やがて、影の奥から黒猫のおばあさんが現れました。
足はなく、体は影のようにゆらゆらと揺らめいています。
ぎょろりとした目だけがキョロキョロと動いています。
赤い下で毛づくろいをしている舐める音がザリザリと聞こえてきます。
とても生々しくて、刻くんは、全身を、ぬるりと触られているようで、身震いしました。
「宙海蛸の墨の軟膏を持ってきたか?」
低く、ねとりとした声でおばあさんは言いました。
「ないだと!?」
「じゃあ宙蝙蝠の翼は?……ふん!何もないのか。」
「入り口に書いてあっただろう!」
「無断で入ってくるとはなんて無礼な子なんだろうね!」
影のように揺れる体から、冷たい声が突き刺さります。
「あ・・・あの・・・影が・・・欲しくて・・・」
小声で震えながら伝えました。
おばあさんは鼻先で笑いながら言いました。
「ふん、努力もしていない、お前さんにあげる影なんて無いさ。」
「黒猫にとって影は美しさの象徴さ。」
「お前は黒猫の品格に欠けるねぇ。」
「しかも、お前の影・・なんだい、それ、小さいし、不味そうだ。」
「あぁ、本当にお前は、ただの役立たずだ。」
「では・・・はて?」
「そんなお前は、何のために生きてる?」
胸の奥がきゅっと締め付けられました。
言葉ひとつひとつが、とげのように刻くんの体の中へ入り込み、侵食していきます。
おばあさんの言葉が体に入ってくるたびに、不安が心の芯を黒く塗りつぶしていくのを感じました。
体も心も、じわじわと、真っ黒に染まっていきます。
それはもう、自分では止めることができませんでした。
とっても、美味しそう
ゆっくりと閉まりかけていた扉の隙間から、星くんが、ビュン!と飛び込んできました。
「刻くん!待って!僕もいく!」
星くんが入ってくると、春のような風が一瞬だけ吹きました。
「だめ!!危ない!ついてきちゃダメ!!!」
刻くんは叫びました。
けれど忠告は届かず、星くんが飛び込んだ瞬間――扉はパタンと閉まり、ひとりでに「かちゃり」と鍵がかかりました。
その音に気づいたおばあさんが、ぎょろりと目を動かし、星くんを見ました。むくむくと膨らむように体を大きくし、ぬるりと腕を伸ばしました。
「まあまぁ、これは若くて素敵な影じゃないの……。」
「とっても、美味しそう。」
おばあさんは、ちろりと舌を出して、手が、星くんの足元に伸びる影を素早く掴みました。
星くんは影を掴まれ、逃げることができません。
刻くんは助けようと駆け寄りましたが、おばあさんに投げ飛ばされてしまいました。
「あっちへいけ!この役立たずめ!」
おばあさんの深く冷たい言葉に心が震えて、体が強ばります。
影を掴まれた星くんは苦しんでいます。
そのとき、刻くんの足元の小さな影が、温かくなりました。
暗闇で見えないけれど、その熱を持った影は、刻くんを足元から温め始めました。すると小さな影は、鍵の形になりました。
それは影の扉を開く影の鍵でした――
入るのは簡単でも、出るためには影の鍵がなければいけません。
刻くんは、足元の鍵を拾って、ぎゅっと握りしめました。
小さな影は温かく、どんどん、刻くんを温め始めました。
その温度は、心に勇気も与えてくれました。
震える声で、必死に叫びました。
「やめて!あなたのじゃない!」
「星くんの大切な影なんだ!」
おばあさんのねとりとした視線が刻くんに向かいました。
「そして僕は役立たずなんかじゃない!」
「僕は生きている、それだけですごいんだ!」
「そして僕は星くんのお兄ちゃんだ!」
胸の奥から、声があふれ出します。
声は少しずつ強く、確信に変わっていきました。
影は光がなければ生まれないんだ
刻くんの叫びにおばあさんの手が揺らぎました。
その瞬間を逃さず、刻くんは星くんの手をぎゅっと掴みました。
星くんは、少し驚いた顔で刻くんを見つめます。
「刻くん…」
その声に、刻くんは小さくうなずきました。
「星くん、行こう!」
二人は一目散に扉へと駆けだしました。
そのとき、刻くんの小さな影の鍵と扉の鍵穴が光り出しました。
鍵穴に差し込むと、
――かちゃり、と音がして扉が開いた瞬間、目がくらむほどの光がどっと差し込んできました。
「うっ……!」刻くんは思わず目を覆いました。
その時、星くんがすっと前に立ち、自分の影で刻くんを包むようにして守ってくれました。星くんの影があるからこそ、刻くんはその眩しさに耐えることができました。
背後で、影おばあさんが悲鳴を上げました。
「やめておくれ!早く、その扉を閉めておくれ!」
ねとりとした影の体が、光に焼かれるようにじりじりと薄れていきます。
「もうあなたの言葉には飲み込まれない!」
刻くんの胸の奥から力強い声があふれました。
差し込む光の中で、おばあさんの影が消えかけていたその時です。
「――刻、星」
優しい声がして、光の中からお父さんが現れました。
その腕には、無数の小さな光の星を抱えています。
「扉を閉めておやり」
お父さんに促されるまま、刻くんは影の鍵を回します。
ゆっくりと扉が閉じると、体の周りが粘つくような、あのねとりとした闇は跡形もなく消えていました。
お父さんは二人を抱き寄せ、穏やかに語りました。
「やぁ、刻、がんばったね。星もよくやった。」
「刻、影は光がなければ生まれないんだよ。
あれはただの闇の、昔から変わらない可哀想なおばあさんさ。
影は売ることも、奪うこともできない。
影は、光と共にあるんだよ」
刻くんは胸の奥がじんと温かくなるのを感じました。
お父さんは続けました。
「闇から出てこられたのは、刻、君が“変える力”を持っているからだ。」
「誰もが個性を持っている。誰かの当たり前に視点を合わせるのをやめてごらん。」「気づいた時には、じっくりと自分と向き合ってごらん。」
「問い続ければ答えは見えてくるはずだよ。」
刻くんはそっと足元を見ました。
そこには、また小さな影が確かに寄り添っていました。
もう恥ずかしくなんかない。
影も光も、そして星くんも。――全部が、自分にとって大切なんだ。
影と光のダンス
宙海を漕いで、月の上の黒猫舎に戻りました。
月に着くと、お父さんがそっと抱えていた光の星を空へ放ちました。
星は夜空へ舞い上がり、きらきらと弾けながら降り注ぎます。
その光を浴びた星くんとその影、お父さんとその影、そして刻くん。
5つの光と影が輪になり、踊りだしました。
月明かりの下で、笑い声のように軽やかに、楽しげに。
その周りでは、刻くんの小さな影が音符となり、くるくる跳ね回りながら音楽を奏で始めます。
影の音符が響かせる調べは、家族の踊りに寄り添い、夜空いっぱいに広がっていきました。星たちは家族をやさしく照らし、まるでその瞬間を祝福しているかのようでした。
そのとき、遠くから優しいお母さんの声が響いてきました。
「ごはんよ〜、早く帰っておいで」
ふいに二人のお腹がぐぅっと鳴ります。
顔を見合わせて、わぁっと笑い合いました。
「おなか、ぺこぺこだね」
おしまい。
今夜、あなたは、どんな願いを星にこめますか?
たくさんの願いが月の上の黒猫舎に届きます。
星のマントに、星のカバンを携えた、ツノのある黒猫のふたり、星くんと刻くんはあなたの願いも、きっと見つけてくれるはずです。
今夜、あなたは、どんな願いを星にこめましょうか?
絵 Ringo
文 ヒナカリンコ Hinaka Rinco
短編物語 星と刻の黒猫舎 - 星に願いを-
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